第七章
炎に揺らめく影


 らりほー、という挨拶は、どうやら彼らの親交の証らしい。
「……らりほぉ」
「違うらり! もっと伸ばして『らりほー』!」
 ブリーズの声はよほど気合が足りないらしい。本人は普通にやっているつもりなのだが。ブリーズはこっそりと嘆息した。
 コウルスがいらただしげに舌打ちするのが分かった。無意識なのは重々承知の上だが、やられると逆に泣けてくる。
「……らりほー」
「んー、まあいいらり」
 ようやく解放され、ブリーズは心底ほっとした。

 オーエンの塔でデッシュと別れてから、四人は炎のクリスタルのありかを求めて歩き続けた。が、闇雲に歩き回っているだけでは見つかるわけも無い。情けないが、とうとう行き倒れてしまったのだった。
 それを運よく見つけてくれたのが、彼らドワーフである。身長はブリーズらの半分ほどしかない小柄な種族であったが、手先が器用で力も強いことで知られていた。そして陽気でお祭り好き、なかなかに友好的でもある。
 そんな彼らにクリスタルの話を聞いてみれば、なんと知っているという。一行は早速、ドワーフの長老に話を聞くことになった。
「山に神殿があったらり! でも地震があったときに、山の中の洞窟に沈んじゃったらり!」
「そこに行くにはどうしたらいいんだ?」
「ドワーフの秘宝、氷の角を使うらり!」
 長老はそう言って、集落の真ん中を示した。
 彼らの集落は洞窟の中にある。その中央に位置した泉の島に祭壇があり、そこに安置されているらしい。
「あれが二本そろえば、炎のクリスタルの神殿、扉簡単に開くらり!」
「でもあれ、一本しかねえじゃん」
 シエルが口を挟んだ。途端、長老の元気が目に見えてなくなる。
「……大盗賊のグツコーが、秘宝を一本盗んで逃げたらり……」
「誰それ」
 知らんのか、とでも言いたげな長老の視線を、ブリーズは軽くやり過ごした。知らないものは知らないのだから仕方ないだろう。
「すみません、遠くから来たものですから分からないのです。教えていただけますか」
 丁寧な物腰でコウルスが尋ねると、長老は機嫌が少しだけ直ったらしく、話してくれた。どうやら長老はコウルスが気に入っているようであった。
「グツコー、すごく悪い奴! いろいろなものを盗んだり、人を殺したりする悪い奴! ドワーフの秘宝、二本取られないでよかった! でも二本無いと、炎の洞窟の扉開かないらり!」
「……どっちみち、そのグツコーって奴をぶっ飛ばさないと駄目だってことか」
 シエルは腰に手を当て、ブリーズを見る。
「どうするんだ、ブリーズ」
「どうするもなにも、行くしかねえだろ」
 ブリーズもシエルを見返し、腕を組んだ。
「デッシュを少しでも楽にしてやりてえんだからさ。お前だって同じ意見だろ、シエル」
「ケッ、言ってろ」
 彼女は眉間にしわを寄せてブリーズをにらみ、それからくるりと背を向けた。

 地底湖。その最奥の行き止まりに、かの大盗賊はいた。手には淡い蒼をした角が握られていた。色は浅黒く、着ている服は黒ずんだ紅がこびりついている。体も大柄で、筋肉質だった。大盗賊というよりは、狂戦士とでも表現したほうがしっくりくるだろう。
 放っている殺気も尋常ではない。多少のやり取りをするも、話を聞く様子は全くない。さぞかし強いのだろうと踏んだ四人は、警戒をしながら戦いを挑んだのだが……
「何だこいつ、あっさり倒せたな」
 床下で伸びているグツコーをつま先で蹴り飛ばし、シエルは呆れたように肩を落とす。
「気をつけろ、足つかまれてそっちにドボンなんていかれたら困る」
 そうは言いつつも、ブリーズも内心では拍子抜けしていた。
 あれだけもったいぶって演説し、あれだけドワーフの長老に言わせしめた大盗賊が、こんなに簡単に倒れてしまうとは。実力がついてきたのかな、とほんの少しだけ浮かれるブリーズであった。
「大丈夫だって。こいつ、完全に気絶してるぜ」
 再びグツコーの黒い顔へ蹴りを入れるシエル。女の子のするような行動ではないが、もはや昔からなので誰も気に留めなかった。
 一方の後衛二人は、氷の角を念入りに調べている。
「イル、どうだ?」
「うん……本物だろう」
 何度も角度を変え、何度も触りながら、イルシオンがうなずいた。
「よし。だとすればこの男はグツコーに間違いないだろう。さっさと引き上げるぞ」
「おいおい」
 思わずブリーズは突っ込んだ。
「待て。もしこれが、何たらってぇ盗賊語った偽者だったとしたらどうしたんだ」
 コウルスは眉をひそめてブリーズを見た。視線に明らかに「面倒くさい」とあるのは気のせいではないだろう。
「予備軍をたたくだけでもいいではないか。本物ならそれでよし、偽者でもそれでよし。善良な一般市民であったならば、後でわびの品を持って行けば問題なし」
「……お前って、時々かなり傍若無人だよな」
「何だって? 聞こえなかった」
「何でもねーよ……行こうぜ」
 気絶しているグツコーをその場に放置し、一行は再びドワーフの元へと戻るため歩き出した。

 またイルシオンが振り返る。先ほどから……グツコーを置いて少し歩いたときから、彼はそうして何度も何度も振り返っていた。
「どした? イル」
 見かねたのか、シエルが尋ねる。
「いや……」
 答えはどこか釈然としない。不安そうに銀の瞳を瞬かせ、しきりに辺りを見回している。
「何か落としたのか?」
 ブリーズも聞いてみたが、彼はそうじゃないと首を振る。
「……妙なんだ……」
「何が?」
「いや……何が、といわれても困るんだが……その、妙なんだ」
 一応辺りを歩き回ってみるが、怪しいものは何一つ無い。そう伝えると、それでも彼は首を振り、妙なのだと言い張った。
「気をつけないと、何かが起きそうな気がする」
「それはねーだろ」
 言い聞かせるように、ブリーズはイルシオンの肩をたたいた。
「あそこが出口だ。あそこまでくれば問題はねーだろうし」
「だが……」
「とにかく行こうぜ。警戒だけは怠らないようにしねぇと」
 イルシオンはまだ不安そうだったが、黙ってそれに従った。
 深い水を潜り抜け、ドワーフの長老に角を渡す。長老は飛び上がらんばかりに驚き、また喜んだ。辺りをぴょんぴょんと跳ね回る姿は、さながら子供のようである。
「らりほー、ほー!! 秘宝が戻ってきた、らりほー! 待っててー、これから角を二つ並べて洞窟の封印解くらり!」
 長老は飛び跳ねながら台座に向かい、守人が結界を解くのを待ってから飛び込んだ。四人はその様子を泉越しに眺める。
 角が二本、台座に安置された。瞬間、強い光が辺りを覆う。
「これで封印が解けたらり! あとは二本持っていくといいらり!」
 長老が嬉しそうに報告した、そのとき。
「がーっはっはっは! そうかそうか、二本じゃねーと駄目なのか! それじゃあまとめて、俺様がもらいうけたー!!」
 黒い影がイルシオンの後ろから現れ、あっという間に台座に近づいていく。
「これで炎のクリスタルの力は俺様のもんだ!!」
 グツコーだ。地底湖で伸びているはずのグツコーが、ここまで追ってきたのだ。長老を乱暴に突き飛ばし、氷の角を二本とも抱えて走り去っていく。
 長老は泉の中に落ち、守人の助けを借りて岸に上がったときには、もうグツコーの姿はなかった。
「くそぅッ、あのやろう!!」
 シエルが悔しそうに歯噛みする。
「つけてきてやがったのか!!」
「……あれはあいつだったのか……気づいていながら……うかつだった」
 イルシオンもまた唇を噛み締め、呻く。
「くっそ……やられたぜ」
 呟き、ブリーズは空になった台座をにらみつけた。
 おそらく、あの気絶は演技だったのだろう。そうでなければ、あの入り組んだ自然の洞窟を抜けられるはずがない。何らかの形で目印をつけていればそれもたやすいだろうが、そのようなものは見当たらなかった。
 つまり、自分たちが油断し、背を向けて元の場所に戻る機会をうかがっていたのだ。してやられた。
 自然、拳に力が入る。
「悔やむのは後だ」
 と、コウルスが静かに言った。
「今はグツコーを追って、クリスタルの暴走を止めるのが先決だ」
 違うか? と視線で問いかけられる。それはブリーズの心を冷静に戻すに十分な効力を持っていた。
「……ありがとうな、コウルス」
「礼を言うのは、この一件が終わってからにしてもらおうか」
 コウルスは淡緑の髪をかすかに揺らし、微笑んだ。

 炎の逆巻く洞窟は、デッシュが姿を消したあの炉を彷彿とさせる。紅の岩壁を舐めるかのように、炎が燃えている。
 途中までドワーフの青年がついてきてくれたのだが、これでも大分炎が弱くなっているらしい。通常ならば、人間はおろか、炎に耐性の無いモンスターですら近づけないほどなのだという。
 四人は暑さと戦いながら進んでいた。そんな話を聞けば、いちいち文句も言ってはいられないというものだ。何せ今は、人間がこうして入ることができるほどの温度なのだというのだから。
「……あちーな……」
 ぼやくブリーズの隣で、シエルもうなずいている。暑さに朦朧としているのか、目が虚ろだ。さすがのコウルスも何も言わず、汗をぬぐいながら黙って足を動かしている。
 気温の変化等々には強いのか、イルシオンだけは涼しい顔だ。時折弱めのブリザドをかけてくれる余裕があるほどなのだから、よほどのものだろう。
 だがそれは逆に言えば、まともに戦えるのがイルシオンしかいないということである。前衛の二人は暑さで動きが鈍くなっている分だけ怪我も負い、コウルスは回復の呪文も満足に唱えられない。イルシオンがその間ブリザドで撃退するものの、このままでは四人とも動けなくなってしまうのも時間の問題だ。
 早くクリスタルの間まで行かなければ。焦る気持ちを嘲笑うかのように、モンスターは次々と襲いかかってくる。体力が削られるのを防ぐために、何度も襲撃をやり過ごした。
 もう限界かと思われた四人の目の前に、見覚えのある扉が現れた。逃げ込むようにその中へと入り、扉を閉める。ここは一般のモンスターには入ることが出来ないらしい。
「助かった……」
 ブリーズが汗をぬぐい呟く。
「……いや、これからが本番だ」
 イルシオンが弱いブリザドをかけつつ、前方を示した。
 風の神殿と同じ造りのクリスタルの間。真っ直ぐに伸びた通路の向こうに祭壇がある。奥で強い輝きを放っているのは、間違えようも無い、炎のクリスタルだ。様子がおかしく感じられるのは、その光が風のクリスタルのそれよりもはるかに強いからだろうか。
 そして、クリスタルの前に陣取っているのは憎きグツコー。だが、その隣にいるのは誰だろう。疑問に思った直後、炎が四人に向けて襲いかかってきた。
「危ねぇっ!」
 慌てて避け、ブリーズは放った張本人をにらみつける。グツコーはにやにやと笑いながら、腰に手を当てて隣の人物を見た。
「どうだ、俺様の力は!」
「元は私が与えたものだろう……」
 声から判別すると、グツコーの隣にいるのは男のようだ。剣を抜き、シエルに目配せする。
「何を言う! これが操れるのは俺様の実力があるからだ!」
「ふふん……」
 走り寄って対峙した。
「来たか、光の四戦士とやら」
 男は嘲りを含んだ視線をブリーズに投げ、そして他の三人にも投げた。
 年は四十半ばから五十ほどだろうか。浅黒い肌と白髪、鋭い双眸は珍しい銀色をしている。一見すると魔導師だが、滲み出す力は魔力とも違うものとも取れないほど強大であった。白と暗い色でのみ構成された彼の色彩の中で、胸元の飾りについた黄金の石だけが浮き上がって見える。
「これほどまでに邪魔をするとは、よほど私が憎いと見える」
 喉で笑い、男は淡々と言葉を紡いだ。
「だが、お前たちに構っている暇はないのだ……グツコー。先にやった力を使い、息の根を止めろ」
「合点承知だ!」
 男はマントを翻す。その隙をついて、ブリーズは即座に詰め寄った。
「待てッ!! お前何者だ!?」
「――うるさい小童め」
 刹那、ブリーズの体が弾き飛ばされた。ほぼ対極の位置にある壁に激突し、むせる。
「私に斬りかかるなど、早いわ」
 男はそう吐き捨て、ブリーズの目の前で掻き消えた。人間が消えるところなど、今まで見たことが無い。一体何者なのか――
「ブリーズ! 危ねぇっ!!」
 と、シエルの声がした。とっさに身を低くしてやり過ごす。頭の上を、膨大な熱が通り過ぎるのが分かった。体勢を立て直し、改めてグツコーに対峙する。
 そして目を見張った。
「な……」
 グツコーは既に人間の形を取っていなかった。毒々しいまでに鮮やかな紫色の鱗、巨大な鉤爪、ぎょろぎょろと動く爬虫類の目。かろうじて彼だと分かるのは、腰に巻きついている服の残滓でのみ。
 グツコーであったものが、甲高い雄叫びをあげた。それはもう人の言葉ではなく、獣の咆哮であった。
「何だこれ!?」
「俺が聞きてぇよ!!」
 シエルが遠くから怒鳴り返してくる。
「あのおっさんがいなくなってから、こいつの体が震え出して! 気づいたらこんな化け物になっちまったんだ!!」
 炎が二人の間を遮る。シエルは腕をかばい、続ける。そのことに衝撃を受けたためか、焦っていた。
「どうすんだ!? このままじゃ皆焼け死ぬぜ!!」
「戦うしかねえだろうが!!」
 先ほどのあの男の正体が気になったが、しかし今はそうも言っていられない。ブリーズは落としていた剣を拾い上げ、気を吐いて応戦体勢を取った。

 異形の姿となり、人間としての理性を捨てたグツコーは強かった。炎に撒かれ、強靭な尾による攻撃を受け、鋭い鉤爪をまともに喰らい、ぼろぼろになりながらも倒したのであった。
 床に横たわるグツコーだった生き物は、息絶えても人間の姿に戻ることはなかった。
「……あいつ、一体何者なんだ。人間を化け物に変えちまうなんて」
 呻くように呟いたブリーズに、脳へ響く音声が答える。
『あれは闇に生きるもの、そして解放するもの』
 クリスタルだ。強すぎた光はすっかり落ち着き、温かく澄み渡った光をたたえている。
『私たちを地へと引きずり込んだ……張本人。彼は地中深くに私たちを封じ込め、更なる闇を呼び寄せようとしている。強大な力の持ち主だ』
 クリスタルは穏やかな口調で話し続ける。
『私の力をわざと強め、暴発を促した』
「それでオーエンの塔が……」
 コウルスが呟くと、クリスタルは一瞬だけ沈黙した。
『……炎と、風。この二つのバランスが崩れれば、この大陸ははるかなる海へと落下する。それを見越してのことだったのだろう。彼はいずれ、この世界をも飲み込む暗闇を呼び寄せようとしている……千年も昔の悲劇を、繰り返そうとしている』
 再び、かすかな沈黙が降りる。
『それを止められるのは、かつての闇の戦士たちと同じ……同じ輝きと強さを持っている、お前たちだけ。お前たちはこれより外の世界へと旅立つこととなるだろう。私たちはいつでも、お前たちを見守っている』
 まばゆい光が溢れ、消えたときには傷が全て癒えていた。
『さあ、行くがいい。光の戦士たちの進む道に、クリスタルの加護があらんことを』
 白い炎が揺らめいた。熱くは無い。やがてそれが体を包み込み、くるくると踊りだす。目を覆い、体を覆い、燃え広がっていく。
 そして気づけば、ドワーフの洞窟へと戻ってきていた。
「らりほー!」
「らりほー!」
 ドワーフたちが集まってくる。皆喜んでいた。
「らりほー! 光の戦士、角取り戻してくれたー!」
「らりほー!」
 長老が飛び跳ねてこちらへ向かってくる。
「ありがとー! 秘宝取り戻してくれた、らりほー! 今日はゆっくり休んでって、らりほー!!」
 宿の手配までしてくれたらしい。四人は素直にその好意に甘えることにし、これからの長い長い旅のこと、外の世界のことを思い描きながら眠りについた。

第八章「うごめく城」→

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