第八章
うごめく城


 ドワーフたちに別れを告げ、一行は道なき道を南下する。歩きとおすこと数時間、空が再び夜の気配を帯びる頃。いつものようにキャンプを張ろうとしたとき、突然コウルスが顔を上げた。手にしていた本を持ったまま、モノクルをかけたままである。
「どうした?」
「……声がする」
 一点を凝視して、彼は繰り返す。
「声がする。向こうの森から……泣き声が聞こえる」
 シエルとイルシオンが呆気に取られている。
「おいコウルス。お前、何か悪いもの食べたのか?」
「……俺には、何も聞こえないが」
「あー、お前らには言ってなかったっけ」
 ブリーズが苦笑混じりに説明する。
「こいつ、エルフの血が入ってるんだ。エルフは森と生きる一族だから、その声って奴を聞いて生活するんだってよ。俺も聞きかじっただけだし、よくわからねえが、声が聞こえたときには大方森が苦しんでるときだから、それを解決してやるんだとさ」
 相変わらずコウルスは視線を向こう側に送ったまま動かない。次第に険しい顔になっていく。
「コウルス、どうだ」
「……泣いている。複数の泣き声だ。長老……長老を、助けてと」
 唐突に立ち上がったコウルスに、シエルはぎょっとしたようだった。
「お、おい? どうしたんだよ?」
「呼んでいる」
 答えにならない答えを返し、羽織っていた外套を翻して歩いていく。伸びてきた髪をまとめる白いリボンだけが、暗くなっていく視界に浮いている。
 危険だという彼女の制止も、耳に入っていないらしかった。シエルが戸惑ったようにこちらを見つめてくる。
「どうするんだよ? あいつほとんど戦えないだろ」
「行こうぜ。どの道放っておくわけにもいかねえだろ」 
 まだ準備が整っていないのが幸いした。広げかけていたキャンプ道具を手早く片付け、森に分け入るコウルスの後を追った。

 開ける視界に真っ先に映ったのは、光の軌跡を描きながら飛び回る小さな影たちだった。透明な羽をしきりに羽ばたかせながら、滑らかに空を滑っていく。
「妖精だ」
 イルシオンが感慨深く呟く。
「すげ……綺麗……」
 シエルもまた、感動したように声をあげた。性別が間違われようとも、性格が乱暴であったとしても、やはり女の子は女の子ということらしい。
「コウルス」
 ブリーズは広場の中央に佇む相棒のもとへ近寄る。
「これか? 泣き声ってのは」
 コウルスは答えない。黙ったままで、自分の目前を眺めている。
 二人の前に広がる巨大な穴は、いびつな形をしていた。落ちたらまず登っては来れないだろう。荒々しく抉り取られた大地が、無残な姿を晒して横たわっていた。
『お願い』
 と、耳元で少女の声が囁いた。
『お願い……長老の樹を助けて……』
 ふわりと近寄ってきた小さな娘に、ブリーズは目を移した。よく見れば、両手を顔に押し当てて泣いている。この娘だけでなく、他の妖精たちも皆さめざめと涙を流していた。
『長老の樹は、ここで森を見守っていました』
『ですがあるとき、悪しき心を持つ男が現れて、魔法の力で樹を持ち去ってしまったのです』
『男の名前はハインといいます』
『長老の樹に呪いをかけて、己の城に変えてしまったのです』
『死ぬこともできず、生きながらに体を削られる長老の叫びが聞こえるのです』
『ハインは長老を、南西の砂漠に連れて行ってしまいました……風に乗って、長老の声が聞こえるのです……』
『お願いします、長老を助けてください……このままでは、この森の皆が死んでしまいます……』
「……何だと」
 三人の視線が、コウルスに集中する。
「森を苦しめ、己の根城と変えただと……! 命を、一体何だと思っているんだ!」
 コウルスの呻きは、激しい怒りを帯びていた。ブリーズが慌てて彼の肩を押さえる。
「コウルス、落ち着け! 気持ちは分かるが、飛び出していってもどうにもならないだろ!」
「止めてくれるな!!」
 普段は滅多に怒鳴らない相棒の剣幕に、思わず手の力が緩む。その隙をついて、コウルスが走り出した。
「ま、待て! コウルス!」
「馬鹿!」
 取り残された三人が追うが、捕まらない。あの細い体躯にどれほどの力があるのかと疑うほどに速かった。
「しまった……エルフの方が夜目が利くんだっ……これじゃあ追いつけねえぞ」
 今更になって思い出し、ブリーズは悔しさに歯噛みする。
「どうするんだよ!」
「野生のチョコボでもいりゃ追いつくのに……!」
 会話を聞いていたのだろう、イルシオンが突然指笛を吹いた。続いて草を踏み分ける音、黄色い体の何かが近づいてくる。強靭なくちばしと足を持つ飛べない鳥、チョコボが一羽顔を出した。
「たまたまここにいたんだな」
 イルシオンは銀の双眸をかすかに丸くし、言った。
「たまたまでもありがてぇや!」
 シエルが飛び乗り、ブリーズとイルシオンを引き上げる。コウルスの姿はもうどこにも見当たらない。
「急がないとやばいぜ!」
「でもこれ、どうやってやりゃいいんだ!?」
「俺が何とかしてみる」
 イルシオンが何事かを囁くと、チョコボは一声高らかに鳴いて駆け出した。
 森を抜け、広大な草地を進んでいくと、途中で座り込んでいるコウルスを発見した。やはり体力が持たなかったらしい。
「コウルス! 馬鹿、何してるんだよ」
 シエルの声に、コウルスはただ一言だけ呟く。
「……あれを……」
 緩慢に持ち上げられた指を辿り、空を見上げる。
 今宵は満月。出たばかりの月の光に照らされて、高く広くすえられた夜の帳の中、巨大な何かがうごめいていた。複雑に絡まる根は、蒼白い陰影をつけて大地に伸びていた。救いを求める手のごとく、時折生き物のように揺らめいている。ふらふらと彷徨い行く姿は、まさしく生きながらにして城とされた大樹だった。
「……聞こえるんだ……長老の、悲鳴が」
 息も絶え絶えに喘ぎながら、コウルスが言う。首を力なく振り、呻く。
「……助けてくれと……いう、声が……」
 エルフは森と共生する種族だという。森の声を聞き、森と共に暮らす種族だという。コウルスにはおそらく、長老の樹があげる、悲しげな痛々しい叫びが聞こえているのだろう。
「……私は……彼を、助けたい」
 落とされたコウルスの本音は、弱々しく震えていた。ブリーズはチョコボの背から降り、くず折れた相棒を支える。
「分かってるよ。でも一人は感心しねぇぜ。何のための仲間だか、分からなくなるじゃねーか」
「アホ!!」
 シエルがイルシオンの後ろから叫ぶ。
「勝手に一人で行っちまいやがって、ふざけんなよこの頑固者!」
「みんなでどうすればいいのか、考えたほうがいいと思う」
 イルシオンが続ける。
「一人よりも、四人で考えたほうが、効率がいい」
 コウルスはうつむいたまま、ほんの少しだけうなずいた。
 四人を乗せたチョコボは、重さによろめきながら近くの村までたどりつく。イルシオンがチョコボをねぎらい、持っていたギザールの野菜を与えてから帰した。
 改めて入り口の外から、村の様子を観察する。夜半ではあるが、通常なら家の明かりが灯っている時刻だ。しかし、ここから見る限り明かりは見えない。明かりどころか、人影すら見当たらなかった。不気味さを伴い、村はひっそりと静まり返っている。
「……何だ、こりゃあ」
「何かあったのかね。とりあえず話を聞いて――」
 ブリーズが先頭に立って足を踏み入れた、その瞬間。
 ぱきん、と音がした。耳の奥で硝子が踏み砕かれたような、そんな音。続いて手足に強烈な痺れが走る。膝から力が抜けて、地面に倒れる。息苦しい。起き上がろうにも、手が動かない。
 ひどい耳鳴りがする中で、複数人の会話が聞こえてくる。が、内容までは把握し切れなかった。気が遠くなっていく。ブラックアウトする直前、男の声が確かに「ハイン様」というのが分かった。



 がば、と飛び起きる。軽い眩暈を覚えるが、体に別状はないようだ。
「おいお前ら、大丈夫か!」
 ブリーズの声に反応して、シエルがうめく。
「ちっくしょ……あいつら、殴りやがった」
 どうやらシエルは最後まで暴れていたらしい。大人しくさせるために殴られたのだろう。
「しっかし、ここどこだ? えらい気味悪いところだが」
「長老の樹の中、だ」
 奥の壁にもたれていたコウルスが、苦々しげに言った。
「ハインとやらの根城とされた、生きている森の長老の体内だ」
「……つまり俺たちは」イルシオンがゆっくりと起き上がりながら、首を振った。「……あれから気絶させられて、ここに連れてこられたということか」
「お前たちも、ここに連れてこられたのか」
 唐突に言葉がかけられた。シエルが警戒して構える。それを手で制するのは、年老いた男性だった。濃い紫のローブを身にまとう、目つきの鋭い男性だ。
 声を掛けられるまで、いることにさえ気づかなかった。気配を消していたのだろう。そして威圧感。これほどまでに圧倒させられるなど、只者ではない。ブリーズは念のため、確認する。
「あんた、何者だ」
 老人はふと微笑んだ。自嘲の笑みだった。
「私は、騎士の国アーガスの王だ」
「アーガス王!? あの……無人の国の」
「左様」
 アーガス王はうなずく。年を刻まれた顔は老いてはいたが、確かに高貴さと気高さを漂わせている。そして何よりも、戦うものの持つ覇気と鋭利な空気が、肩から立ち上って見えるほどであった。
「やっぱな……」
 ブリーズは一人呟く。戦いに身を置いているものならば、ましてや騎士の国の王――戦いに行くものたちの先に立ち戦場を駆けただろう人物ならば、あれだけ圧倒されるのもうなずける。気配を消すことだってたやすい。
「それにしても、何でそんな偉い人がここにいるんだ?」
 シエルの問いに、再び王は自嘲の笑みを浮かべた。
「家臣の裏切りにあったのだ」
「裏切り?」
「彼奴は、よくできた魔術師だった。己の持つ魔術の力を、国のために役立てたいと……そう言ったのだ。だが彼奴は変わってしまった。ある客人を招いてからは、変わってしまったのだ」
 王は瞳を閉じる。過去を回想しているのか、表情は暗い。
「その客人が来てからというものの、彼奴は力をいかにして強くするかばかりを研究し、力に溺れていった。そうして最後には……私と円卓の騎士たちをさらい、アーガスの国民達をも連れ去り、生きている森の長老の樹を己の城と変え、王となろうとしているのだ」
「……それが、ハインという男なのですね」
 コウルスが拳を作る。沸き起こる怒りを抑えようとしているのが、隣にいるブリーズにまで伝わってくる。
「ちょっと待て」シエルが口を挟んだ。「そいつが変になったのは、客人ってやつのせいなんだな? じゃあそいつを捜し出してぶっ潰せばいいじゃねえか」
「だが、我々が気づいた時には、その客人は国から出立していたのだ。今更探しようが無い」
 王は再び目を伏せる。
「あの客人もまた、強い力を持つ魔術師だったと記憶している……そうだ……射るような、冷たい……銀の瞳を持った、男の魔術師だった……」
 ブリーズは思わずイルシオンを見た。彼も困惑したように、ブリーズを見返している。
 そうだ。炎の洞窟で出会ったあの男も、こんな銀色の目をしていた。イルシオンのように暖かな、優しい銀の色ではない。冷たく冷え切った、鋭い眼差し。大盗賊を異形の怪物へと変化させた力を持つ、男の魔術師。
『――私に斬りかかるなど、早いわ』
 まさか。ブリーズの思考に、嫌な影が差す。
「コウルス、シエル、イル。もしかしなくても、これ……炎の洞窟で会った変なおっさんが絡んでるぜ」
「……あいつか」
 シエルが唇を噛み締める。痛みを思い出したのだろう、やけどした腕を押さえている。
「どの道関係ない」
 コウルスは再び歯軋りして、うめく。
「たぶらかされていようがいまいが、命をもてあそぶようなことをする輩を許してはおけん」
「頼む。長老の樹を救ってやってくれ」
 コウルスに頭を下げて、王が懇願した。
「我々が生きていられるのも、全て長老の樹が守っていてくれているからなのだ……頼む……」
「もとより、そのつもりです」
 言って、コウルスは王を支える。
「行こう、ブリーズ。許してはおけん」
「おう」
 近くに控えていた騎士に王を預け、四人はうごめく城の体内に足を踏み入れた。

「悪趣味な奴……」
 シエルが後ろで呟くのが聞こえた。声が呆れている。
 目の前には広大な空間が広がっている。王城で言うなれば、謁見の間であろう。その中央に、ハインなる魔術師がいた。
 頭には羽つき帽子をかぶり、優美なデザインのローブをまとっている。傍目から見れば、魔術師というよりは貴族と言った方がふさわしい。顔はもはや肉が削げ落ち、骸骨と成り果てていた。顔だけではなく、手袋と衣服の合間より覗く腕もまた、白く硬い骨と変わっている。
「黙れ小娘ッ!」
 突っ込まれたくなかったらしい。耳障りな甲高い声が響く。
「私こそが新たな王、ハインなり!」
「何が新たな王だ、馬鹿馬鹿しい」
 コウルスが吐き捨てた。
「大方、外法に外法を重ねた結果、人間の姿を留めることができなかったのだろう。命の価値すら見出すことができず、己の命を縮めてまで力が欲しいか。くだらんな」
「口を慎め、小僧が!」ハインはさらに声を張る。「私こそが選ばれた者! ザンデ様に選ばれし者! あの方に選ばれた私は、偉大なる力を手に入れたのだ! 私はあの方のために、偉大なる国を作ろう!」
「くだらんな」
 コウルスがさらに一蹴する。深緑の瞳は怒りに燃え、冷たい輝きを帯びてその色を深めていた。
「己の力と野望のために、平和に暮らしていた無数の命を犠牲にすると……私はそのような輩が一番嫌いなんだ」
「ええい、うるさい小僧が! あの方の邪魔をするものは、全てこの私が排除してくれよう!!」
 瞬間、身を切り裂く冷気が辺り一面を薙いだ。氷交じりの冷気が皮膚を切る感覚がする。
「チィッ!!」
 シエルが跳躍して避ける。だがそれも、ハインは見越していたらしい。マントを翻し、次の一撃を放つ。懐にナイフを仕込んでいたのだ。空中では避けることが難しい。シエルは、もろにその刃を受けることになってしまった。
「うおッ!」
 からくも体をよじって直撃を免れたが、わき腹を大きくえぐられる。
「シエル!!」
 無事に受身を取って着地をしたものの、ダメージは大きい。
「く……」
 イルシオンが呪文を唱える。ハインの詠唱と重なるが、彼の方が早かった。雷が魔術師を打ち据える。轟音と余韻が部屋に響き――
「……な……」
 魔術師はまた、甲高い声で笑う。無傷であった。それどころか、先ほどよりも力がみなぎっている。細すぎるその手に、雷電の光が踊った。イルシオンの放った雷を、倍返しにするつもりか。
「イル、避けろぉっ!!」
 ブリーズが渾身の力をもって叫ぶ。同時に上乗せされた稲妻が放たれた。竜の形を取りながら、稲妻は術者の元へ帰っていく。一心に、真っ直ぐに、帰っていく。すさまじいスピードで、雷の竜はイルシオンを襲った。
 イルシオンの長身が床に倒れる。反動で気絶しているのだろう、ぴくりとも動かない。
「イル!」
「他人の心配をしている暇があるのかな?」
 ブリーズのすぐ隣で、小馬鹿にした音が聞こえる。とっさに身を返して構えなおす。今までいた場所に、剣戟が落とされた。
「てめぇ……」
「さてはて、どう料理してやろうか。刻み込んで海にばらまいて、サハギンの餌にでもしてやろうか」
 ハインの体が光を帯びた気がした。その刹那、コウルスの声が木霊する。
「氷だ、ブリーズ! 氷の術の力を持つアイテムをぶつけろ!!」
 ハインが気を取られ、隙を見せた。ブリーズはわけも分からず、腰につけていたストックから南極の風を取り出して投げつけた。
 魔術師に命中した。封じられた術が発動する。冷気を放ちながら、氷の柱が突き立った。先ほどの余裕すら消えうせて悲鳴をあげるハインに、ただ呆然とするばかりだった。
「バリア・チェンジ……己の弱点を意図的に変更する、古代の秘術だ」
 コウルスがイルシオンを介抱しながら、淡々と告げる。
「氷の術を使った後に、イルの雷の魔法を上乗せして倍返しをしていた。最初の魔力の波動と、次に放った魔力の波動が全く異なったから、おかしいと思ったんだ。お前を攻撃しようとした際には、炎を使おうとしていたのだろう。見ろ」
 言いながら、ハインを示す。正確には、ハインのつけている胸元のブローチを示した。
「あれはおそらく、魔力に反応する石なのだろうな。体内の波動に反応して色が変わるんだ」
「うぅぅ……おのれ……」
 悔しげに歯を鳴らし、ハインはうめいた。それから再び、体を震わせて手をかざす。体が光を帯びた。
「次は雷」
 コウルスは言いながら、石像を取り出す。封じられたゼウスの怒りは、魔術師を打ち据えた。
「おのれ……おのれ……!」
「次は炎」
 紅の欠片が紅蓮の炎と変わる。魔術師の体を、激しい炎が包み込んだ。
「私がサポートする。お前はシエルと一緒に直接攻撃をたたきこめ」
 モノクル越しの目が据わっている。
「アイテムがなくなっても大丈夫だ。先ほどこの本が、属性を持っていることが分かったのでな。直接殴りに行く」
「……その必要はねーぜ」
 シエルは埃を払いながら、のたうちまわるハインを一瞥した。
「お前が前に出なくたって、この俺が叩きのめしてやらぁ」
「行くぞ!」
 反撃、開始。ブリーズは相棒の恐ろしさを改めて実感しながら、剣を握り締めた。

 ザンデ様、と言葉を残して、外法に身を染めた魔術師は塵と消えた。
「……これで……樹が救われる」
「でもよ、どうやったら元に戻るんだ?」
 止血しながら、シエルが尋ねる。コウルスも分からないのか、困ったように眉を寄せた。
 と――
『ありがとう、小さな子ども達、光の戦士たちよ』
 声がした。はっきりとした音だが、出所が分からない。
「わぁっ!? だ、誰だ!?」
「樹が、喋っている」
 イルシオンがぼんやりとした眼差しのまま、呟いた。
「この部屋が喋っているんだ」
『本当にありがとう。私は長老の樹』
 言われて見れば、確かにこの部屋全体から声がしている。ブリーズは天井を見上げる。先ほどの戦いで所々が焼けたりしているが、いつの間にか消えかけていた。長老の樹が、息を吹き返したのだ。
『お前たちのおかげで、私は呪いが解けた……これで、森に帰ることができる』
「よかった」
 コウルスは言って、ようやく笑みを見せる。
『ありがとう。私はこれから森に帰り、千年の眠りにつく……その間、誰も森に入ることはできない……その前に、お前たちをアーガスまで送っていってあげよう。皆をここに集めなさい……少しゆれるが、我慢をしておくれ……』
「じゃあ、俺が呼んで来る」
 イルシオンがゆったりとした足取りで部屋を出た。残る三人は、皆が集まるまで待機することになる。
「……長老の樹よ。聞きたいことがあります」
 と、コウルスが切り出した。シエルの手当てをする手は休めぬまま、低い声で尋ねる。
「ハインと共にいたという、銀の瞳の魔術師に覚えはありませんか」
『……銀の瞳の、魔術師』
 大樹はしばし考えるように、沈黙する。
『ただ一度だけ、私がハインの呪いをかけられたときに……一度だけ、見たことがある。銀の双眸をした、冷たい影を背負う男……とても、とても強い力を持った男だ。気をつけるがいい、子ども達……彼はよからぬものを呼ぼうとしている……深く暗い、闇を背負っている。気をつけなさい、彼は危険な力を持っている……』
 冷たい影を背負う、強い力を持った男――ブリーズはコウルスを見る。
「ザンデ、とか言ってたな。ハインの野郎」
「ああ」
 ザンデという名の、銀の瞳を持つ男。いずれにしろ、用心するに越したことは無い。ブリーズは唇を引き結んだ。
「もしかして、ハインの奴みたいなのがまだいるってことなのか? ごめんだぜ、ったくよ」
 シエルは言いながら頭をかいた。金髪はあちこちが焼け焦げて縮れている。
「いずれにせよ……ザンデなる魔術師と、いつか対峙する日が来るかもしれない。気を抜かずに進んだほうがいいだろうな」
「いいじゃねーか。そのときはそのときだぜ」
 ブリーズが笑う。拳を手のひらに打ち付けて、天井へと伸ばした。
「とにかく今は、アーガスに帰ろう。いろいろうだうだ考えるのは、それからでもいいだろ?」
「……お前という奴は」
 コウルスが苦笑した。イルシオンの声と大勢の歓声、足音が、部屋の空気を震わせた。

第九章「水の巫女」

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