第六章
太古の塔、太古の男


 何かが軋む音、何かが擦れ合う音。せわしない音が絶え間なく流れ、鼓膜をひっきりなしに震わせる。
「すげぇー」
 ブリーズが感心したように周囲を見回している。
「これは……古代の文明の結集か」
 コウルスもまた感嘆の声を漏らし、辺りの壁に触っていた。
「あんまりきょろきょろするなよ」
 珍しく先頭に立っているデッシュが、苦笑しながら忠告する。
「それから、あんまり触るのもよくない。防衛システムが作動したらやっかいだからな」
「何だそれ」
「まあ何だ、護衛の兵士を呼ぶ呼び鈴が鳴っちまうようなもんさ」
 なるほど納得、とブリーズは手をたたいた。
 あれから一夜をアーガスで過ごした一行は、元の通りに様相を戻してから塔に向かったのだった。塔の入り口にたどり着いたのは、日が高く昇ったころのはずだ。今の時間は分からない。塔の中に窓がないからだ。
 壁という壁は金属でできていた。天井には鉄の管がはびこり、絶え間なく歯車が動いている。これほどまでに金属を駆使して建てられた建造物は、四人は見たことがなかった。
「すごいな……」
 コウルスは目を輝かせている。好奇心が人一倍ある彼にしてみれば、まさに天国かもしれなかった。
 一方のシエルは仏頂面だ。うるさそうに顔をしかめ、デッシュに文句を言っている。
「おい、さっさと進めよ。うるさくて仕方ねぇ」
「そんなこと言ってもよー」
 デッシュは困った顔をして、シエルの後ろを示した。ついでにブリーズも視線を動かす。
「ほう、これは何と言うものだろう……なかなかに画期的な動きだ。おいデッシュ! お前はこれを知っているだろう? 何の役目を果たしているんだ」
 はしゃぎにはしゃぎまくっている回復役がいた。
「……ブリーズさんよ」
 デッシュの半ば呆れた声を聞くのは、これが初めてではないだろうか。
「あんたの相棒は、あーいうのが好きなのか?」
「あー……まあ……」
 飛空艇の操作も、船の操作も、ついでに調べものも全て彼が担当している。
 コウルスは昔の文献に精通している。ゆえに、こういったものの操作は頭にたたきこまれているのだ。だからこそ、操縦は安心して任せることができる。
 ……方向さえ間違えていなければ、の話だが、このことを言うとひどく不機嫌になってしまう。そのため、一行の中では禁句となっていた。
 ともかく、コウルスは古代の文献に非常に興味を示している。それがつまり、そのまま古代の建物への興味になっているのだろう。
「……好きだな」
 ブリーズはそれを一言で片付け、根掘り葉掘り事細かにデッシュに尋ねる相棒を眺めた。
 刹那。
「うわぁぁっ!?」
「な、何だ!」
「地震か!?」
 突如として床が揺れたのだ。ただの地震ではない。腹の底に響くほどの振動と共に、塔全体が揺れている。デッシュの表情が途端に厳しくなった。
「上か!」
 そして走り出した。
「デッシュ! お前、どこに行くんだよ! 危ねぇだろうが!!」
 シエルが叫び、その後を追う。
「デッシュ、シエル!!」
 放っておくわけにもいかない。何よりもデッシュの表情が、急がねばならない状況であることを物語っていた。
「コウルス、イル、後を追うぞ!」
 さすがに喜んでばかりもいられないと察したのか、コウルスも真顔でうなずいた。

 最上階への階段を駆け上ったとき、ブリーズの顔を熱が焼いた。顔を腕でかばう。すさまじい熱が渦巻いていた。
 ごうごうと轟音がとどろいている。火の粉が飛び散り、部屋全体が紅を帯びているかのようだ。
「デッシュ! シエル!!」
 中央へと伸びていく通路、その一番奥に二人の姿があった。紅が一番濃く照り映えている場所の前だ。
「どうしたんだ、これは一体?」
 コウルスが問うと、デッシュが振り向いた。切羽詰っている。頬には冷や汗すら浮かんでいた。焦りが全面的に押し出された顔だった。
「やばい、動力炉が暴走を起こしてやがる!」
「動力炉?」
 シエルはデッシュの腕をつかんでいた。空色が涙で潤んでいる。
「こいつ、この中に飛び込むつもりなんだ!!」
「何……」
 突然の言葉に、頭がうまく働かない。ブリーズもコウルスもイルシオンも、二人を見つめることしかできなかった。
「この中にあるメインの炉が暴走しちまってるんだ。そいつを直さないと、遊爆を起こす可能性がある」
 言って、デッシュは静かに面を上げる。
「それだけは避けなくちゃならねえ。この大陸が落ちて、何万という人が死ぬ。俺は……この塔に異常が起きたときのために、眠らされていたんだ――思いだした」
 不規則な音を立てる炉を背にし、彼は低く名乗った。
「俺の名前はデッシュ。千年前に光の氾濫を起こした、古代人の生き残り。オーエンの塔の管理者にして、浮遊大陸を監視する者だ」

 千年前。古代の民はクリスタルの力を使い、大いなる繁栄をもたらした。栄華を極めた彼らは、更なる高みを求めた。その中でも特に研究熱心だった男がいた。彼の名はオーエン。幾年もの年月を重ね、そして彼はついに、大陸を炎と風のクリスタルの力でもって浮遊させることに成功した。
 だが――クリスタルの力を乱用したために、光と闇のバランスが崩れたのである。表裏一体であるとされた世界と世界の間に歪みが生じ、強まりすぎた光の力は氾濫を起こして荒れ狂った。二つの世界は致命的な打撃を受け、滅び去ろうとしていた。
 しかし、奇跡が起きた。闇の力を持つ四人の戦士が、荒れ狂う光の力を鎮めたのである。彼らは向こう側の世界、言うなれば闇の世界の人間であった。光の氾濫によって、この世界以上に打撃を受けた世界の人間であったのだ。
 古代人はそれを知り、大い悔いた。そして自分たちが起こした悲劇を二度と繰り返さないよう、機械という高度文明を捨てた。
 だが浮遊大陸はそうはいかない。大陸にはもう、何万という人間が住んで久しいからだ。この大陸を捨てれば、いずれ大陸は落ち、数え切れぬ人たちが命を落とすことになる。
 浮遊大陸を作り出したオーエンは、自分の息子をその管理者として眠りにつかせた。もしも光と闇、いずれかのバランスが再び崩れ、塔が異常をきたした場合――息子は目覚め、塔の異常を直すことになるだろう。彼はそれを期待し、息子を冷凍冬眠させたのである。
「そして時は流れ……現在。通常は普通にクリスタルの力を借りてるんだが、何かの力がそれを遮ってるらしいんだ。だから塔は異常を起こした」
 静かに語り終えたデッシュの瞳に、火の粉がちらちらと映りこんでいる。
「この大陸を落とすわけにはいかねえんだ。何万人っていう命が犠牲になる。そうならないために、俺はこれから異常を直さにゃならねえんだよ」
「デッシュ……でも、これじゃ」
 ブリーズの言葉を遮り、シエルが声を荒げる。
「駄目だ!!」
「シエル……」
「駄目だ、いやだ!! こんなところに入って、助かるわけねぇだろが!! やめろ、行くなよ!! 死んじまう!!」
 ぼろぼろと涙を零して、シエルは幼子のように叫んだ。デッシュの腕をつかんだまま、動こうとしない。
「そしたら……そしたら、サリーナさんに何て言えばいいんだよっ!!」
「シエル」
 と、デッシュが苦笑した。それからぽんぽん、とあやすようにシエルの金色の頭を撫でる。
「大丈夫だ。俺、ぜってー死なねぇからさ。これくらいの炎、何てことはねぇよ」
「でもっ……!!」
「平気、平気。ちゃちゃっと終わらせて帰ってくるからさぁ。なーに、あんたらはクリスタルの力を安定させてくれりゃいい。そうすれば少しはマシになると思うぜ」
 くしゃり、ともう一度撫でて、手を離す。そして彼はゆっくりと四人の顔を見回して、破顔した。
「じゃ、後は頼んだ。ちょっくら行ってくるわぁ! 楽しかったぜ、また会おう! あばよー!!」
 そして次の瞬間には。
「デッシュ!! デッシューーー!!!」
 彼の笑顔は、炎の中に消えていた。
 炉の中へ飛び込もうとするシエルの体を、ブリーズが引き止める。
「危ねぇ!」
「離せ、離せよぉ!! デッシュ!!」
「落ち着け、シエル!」
 取り乱すシエルの頬を、力いっぱい張った。呆然と見つめ返してくる瞳をにらみ、肩をつかんで揺さぶる。
「あいつ何て言った? クリスタルの力を遮る何かがいるから、塔が異常を起こしたって。クリスタルの力を安定させれば、少しはマシになるって言ったじゃねえか」
「……で、も」
「デッシュのこと、助けたいんだろ!?」
 唇を噛み締めて、シエルはうつむいてしまった。小刻みに肩が震えている。その肩をたたき、頭を軽く撫でてから、ブリーズはもう一度言った。
「シエル、行こう。急げばきっと、間に合うから」
 しばしの間を空けて、彼女はうなずいた。
 と同時に、それまで無言だったイルシオンが鋭く声をあげた。
「炉の上に何かいる!」
 しゅうしゅうと息巻くそれは、女の顔をしていた。髪の毛ではなく無数の蛇が、女の頭から生えている。
 女は不気味な笑みを浮かべながら、炎の中に入り込もうとしていた。音を立てて燃え盛る炎にも動じていない。目的はおそらく唯一つ。
「デッシュが狙いか!」
 ブリーズは剣を構えた。
「そうはさせねえぞ! コウルス、イル、援護頼む!」
 イルシオンの詠唱が始まった。
 女の体がいよいよ前のめりになる。中にいるだろうデッシュを探しているようだった。イルシオンの呪文が早いか、女が中に入るのが早いか。
 と、ブリーズの隣の影が動いた。シエルだ。渦をなす炎に負けず、脚力を生かして女に飛び掛っていく。
「あいつの邪魔すんじゃねぇぇぇ!!」
 綺麗な蹴りが入った。女が地上に落とされる。蛇が鎌首をもたげ、威嚇音を出した。女の目も怒りの赤に染まっていく。
「シエル、いいぞ! 戦闘開始だァ!!」
 ブリーズが声高に叫び、戦いが始まる。一人の男が命をかけた、それを無駄になどさせはしない。四人の思いは一致していた。

第七章「炎に揺らめく影」→

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