第五章
グルガンの予言


 たどり着いたそこは、ほの明るい空間だった。決して暗すぎるわけでもなく、かといって明るすぎるわけでもない。そしてどこか神秘的な空気は、一行を穏やかに迎えてくれた。
「そなた達が来るのを待っていた」
 盲いたの瞳を優しく細め、その人は言った。もうどれくらいの永い年月を過ごしたのだろうか、柔らかな白髪をたなびかせる姿は、いっそ荘厳さすら漂わせている。
 彼は、この集落の長であった。
「異世界より来たる二つの光……そして新たに選ばれし二つの光。よく来てくださった。我々グルカンの民は、そなた達を歓迎する」
 ブリーズがこっそりとコウルスに耳打ちした。
「……えらい歓迎されてるじゃねぇか? 俺ら」
「気にするな。そういうものだろう……前の世界でもそうだっただろうが」
 そういい、コウルスは軽く肩をすくめた。
 この二人は異世界よりやってきた。元の世界でも彼らは、『クリスタルに選ばれた戦士』として大いにもてはやされてきたのである。
 とは言え、ブリーズはこういったことは苦手だった。どうもむずがゆい気がしてくる、というのが彼の談である。コウルスもあまり慣れておらず、こうも歓迎されると落ち着かないらしかった。
「そう気を張らずとも、何も心配することはない。異界の光たちよ」
 聞こえていたらしい。ブリーズは思わず「ひぇっ」と声を漏らしてしまった。
「この瞳こそ見えはしないが、その代わりに他の感覚が研ぎ澄まされている」
 老人は小さく笑う。
「……そういえば」
 ふと、デッシュが声を発した。
「あんたらは、予言が出来るんだって聞いたぜ」
 老人はそれを首肯する。
「見えぬ目に感じられる漠然とした光景、それを予言と人は言う」
「じゃあ、未来のことが見えるっていうのか?」
 信じられないと言外ににじませて、シエルが口を挟んだ。意外さと疑わしさが入り混じった空色の瞳が老人を映す。
「んで、その通りになっちまうって言うのかよ?」
「先も述べたとおり、我らが見るのは漠然とした光景なのだ、炎の少女よ」
 ややきつい語調であるシエルの言葉を受け止めるように、老人は言葉を重ねる。
「漠然とした光景……」
 コウルスが反芻する。
「とてつもなく大きく、深く、暗く……そして哀しい暗闇が、この世界を飲み込もうとしているのだ。魔物を生み出し、そしてクリスタルの輝きを地中に引きずり込んだ大地の震えは、その予兆にすぎない」
 滔々(とうとう)と歌うように、グルガンの長は言う。
「ホントに漠然としてるな」
 ブリーズは頭を掻き、呻くように呟いた。
「イメージが湧いてこねぇや」
「信じがたいことだ。だが……これほどまでの感覚を伴って見えたものは、今の今までなかった」
 白髪が波打つ。彼が頭を振ったからだった。
「……暗闇と、それを呼び寄せる波動。この二つが絡み合い、更なる無を呼び寄せようとしている……あなた方はそれを止めるために、選ばれたのだ」
 沈黙。そして破られる。
「そなた達の持つ輝きは、世の均衡を保つための力だ。闇を力でねじ伏せるものではなく、温かく包み込むもの……かつて起きた光の氾濫、そのときに選ばれた闇の力を持つ若者たちのように」
 そして、ふと彼は言葉を切った。音が壁に浸みていく。
「そう。そなた達はそのために選ばれたのだ。大きな闇を包み、照らしていくための力を正しく使える者たちとして……」
 と、不意に長はイルシオンに目を留めた。否、イルシオンのいる方向を向いた。
「――大地の申し子よ。そなた達の中で、最も苦しまねばならぬ運命の子よ」
 自分に話しかけられているとは思わなかったのか、イルシオンが驚いたように瞬いた。
「え、お、俺か」
「光が強いがゆえに、出来うる影もまた濃いであろう。影に魅入られた者は、そなたの前に姿を現したときに分かる。そなたは迷い、惑うかもしれない……だが、案ずることはない。そなたには、濃い影すら包み込むことが出来る光があるのだから」
 きょとりと銀の瞳を長に向け、やや戸惑ったように彼はうなずいた。分かっているのか、いないのか。
 少々心配になったブリーズではあったが、ブリーズ自体話が見えてこなかったので、分かっていなくてもあまり問題ではないように思えた。
 次いで、長はデッシュに顔を向ける。
「デッシュ……はるか古の血を引く者、そなたには大きな運命が待ち受けている」
「え、俺っすか」
 こちらも自分が話しかけられるとは思っていなかったのだろう。ぎょっとしたように一歩退いて、返事を返した。
「光の戦士たちの運命を導き、そして新たなる道を開く運命……それは塔、古より建てられし古代の塔。赤々と燃える炎が天に届きしとき、そなたの封じられた過去は蘇るだろう」
 封じられた過去、と聞いた途端、デッシュの顔が緊張した。過去を失ったデッシュにとって、この言葉は鍵となるべきものであった。
「……塔……」
「早速行ってみるか?」
 ブリーズの問いに、デッシュは黙ってうなずいた。その表情はどこか硬く険しく、普段とは全く異なったものであった。



 数々の「予言」を聞いてから、一行は長の言っていた塔へと行くことになった。
「塔っていえるのは、ここ……アーガスの北にあるオーエンの塔だけだ」
 デッシュは言いながら、北の方角を指し示す。
 アーガス城。騎士の国と呼ばれるアーガスにたどり着いたのは、つい先刻のことだ。人が一人もいないことに疑問を抱きつつ、一行は城にお邪魔させてもらっているのであった。ブリーズとコウルスはなにやら調べもの、そしてイルシオンは「風に当たってくる」とのことだった。そして残る二人が、こうして塔の位置を確認している。
 グルガンの集落を後にしたのは昼時。今はもう、夕日が傾きかけていた。夕日の色に染め上げられた海は、強く光を反射して煌めいている。風に髪をなびかせて、シエルはデッシュの示す方角を見た。
「あれだ」
 デッシュの指が、遠くに霞む細長いシルエットを捉えた。
「……あれが……オーエンの塔ってやつか」
 目を細めて、シエルもそれを見る。
「……あれが、俺の使命を思い出す場所」
 呟きに、シエルは隣の男を見る。精悍な顔立ちが光に照らされて、ひどく眩しく思えた。
「あそこに……行かなくちゃならねえ」
「デッシュ……お前、何か思い出せそうなのか」
「どうだかは分からない。うん……でも、そうかもしれない。俺はあそこに行かなきゃならねえんだ」
 また風が吹いた。
「なあ、シエル」
 どきりとして、シエルはデッシュから顔をそらす。
「な、何だよ」
「もうちょっと……高いところに行こうぜ」
 悪戯っぽく笑って、デッシュは上を示した。もうこれ以上高く上がれる場所は無い。あるとするならば、国旗が掲げられている塔の頂上だ。
「……風が強いから、あぶねえぞ」
「大丈夫大丈夫。な、頼むよ」
 この通り、と彼は笑って頭を下げる。仕方が無い。シエルは肩をすくめ、デッシュの手を握った。心臓の音が、どうかこの馬鹿に聞こえませんように。そう願いながら、彼女は思い切り足を踏み切った。
 頂上は想像以上に風の流れが速い。せわしなく耳の傍を通り抜ける空気の音を、ぼんやりと聞いて座っていた。
「なあ、シエル」
 先ほどと同じ口調で、デッシュが話しかけてくる。
「これ、誰にも言うなよ」
「何だよ、急に」
 笑っていた顔が真面目になり、またどきりと心臓が跳ねる。
「――……俺さ。きっと、あの塔に行ったら……お前らと旅を続けられなくなると思う」
 唐突な言葉。認めたくない思いと、衝撃とで、シエルは目まいを覚えた。
「……は?」
「あの塔に行ったら、お前らと旅できなくなると思う。これは推測じゃなくて、ほとんど確信に近い。俺は何かをしなきゃいけなかった。でもその何かがすっぽり抜けてた。あのじーさんは、塔に行けば過去が蘇るって言ってた。何かしなきゃいけねえって焦ってるくらいだから、これは本当に大事なことなんだろう」
 言って、彼は苦笑する。いつもと違う、本当の意味での苦笑い。
「俺としては……正直、お前らと一緒にいたいけどさ……」
「……」
 何も言い返せない。シエルは唇をかんでうつむいた。
「だから、今のうちに言っておくよ。楽しかったぜ。こうやってさ、見晴らしのいいとこ連れてきてもらったし。お前がいると便利だなぁ」
 最後の台詞になると、ほとんど普段の調子と変わらない。それが、シエルには悔しかった。まるで彼が、やせ我慢をしているように見えてしまうから。
 泣きそうになるのを堪え、彼女はかろうじて答えを返した。苦し紛れに見えなくも無いだろうが、それでも泣き顔だけは見せたくなかったのだ。
「……人を便利屋みてーに言うな」
「まあいいじゃねーか。男と男の友情だし、ここは一つ許してやってくれよ、兄貴っ☆」
「俺は女だぁぁぁっ!!」
 今までのしんみりした空気は、盛大な張り手の音で吹っ飛ばされてしまった。

 散歩に出かけた仲間を待ちながら、ブリーズはふと相棒に目をやった。なにやらを一心不乱に読みふけっている。
 直接予言を下されたデッシュ、そしてイルシオンは、なにやら神妙な顔つきで出て行った。シエルはおそらくデッシュのところだろう。それぞれの考えを尊重し、ブリーズはこうして相棒のところにいるのだった。
「コウルス。何読んでんだ」
 彼は右目にかけたモノクルを外し、本を示した。
「グルガンの長老殿が言っていた、闇の力を持った若者たちについて調べているんだ」
 勝手に書庫をあさってきたのだろう。同じ形式の本が数冊、彼の隣に積んである。
「書いてあったか?」
「いや……それと思しき記述が数行あっただけだ」
 羊皮紙に書き写された文字を追い、ブリーズは相棒の持つ本を眺めた。分厚いそれは、くすんだ紅の革表紙になっている。金でつづられたタイトルは、擦り切れていて読めなかった。
「物語か何かか?」
「まあ……似たようなものだろう。歴史書に近いかもしれんな」
 腕を軽く回して、コウルスは再びモノクルをかけた。
「長老の言っていた光の氾濫というのは、今より千年前に起こったらしい。原因はクリスタルの力の乱用だ。クリスタルの力を使った機械文明は、大きな発展をもたらした。だが……」
 コウルスは一度言葉を切り、ページを繰って続ける。
「あまりにも大量にクリスタルの力を使ったため、光と闇のバランスが崩れたのだそうだ。強すぎた光の力は世界に歪みを作り、世界は滅びに瀕した」
 それから彼は羊皮紙を示す。四つの名前が書かれた紙だ。
「そのときにどこからか四人の若者が現れ……光の氾濫を止めた、とされている。彼らはもう一つの世界……私たちのいた世界とは違う、この世界の表裏一体の世界からやってきたようだ」
 そしてもう一度ページを繰ってから、コウルスは顔をあげた。
「それが、闇の力を持った四人の戦士。私たちが光の戦士だとするならば、彼らはさしずめ闇の四戦士とでも言ったところか」
 ブリーズの視線は、再び羊皮紙に落とされる。名前と思われる言葉が陳列されていた。コウルスもまた、同じように目をそこに落とした。
「風の加護、水の加護、炎の加護、土の加護……?」
「おそらくは私たちと同じ、属性だろうな」
「属性なんかあったっけ」
 コウルスが軽く嘆息する。
「……お前は風。私は水。シエルは炎、イルは土だろうが」
「ああ、そうだっけ」
 すっかり失念していた。考えてみれば、前の世界にいたときにもそんなことを言われたっけ、とのんきに思い返す。
 それから改めて、その言葉の隣に書かれた名を見た。
 風の加護・テネブレス=リュウガ。
 水の加護・モイス=アハトノーゼ。
 炎の加護・アストレ=エル=ティシレア=ロンドラーグ。
 土の加護・ソイア=ルインツ。
「何で名前残ってるんだ?」
「私に聞くな。名前でも聞いたか名乗ったかしたんだろう」
 やや投げやりに答えが返された。ブリーズもそれ以上何も聞かず、目を窓に向けた。
 外は徐々に夜の闇を濃くしていく。誰もいないアーガス城、自分たちのいるこの場所だけに灯りがともっている。街の人間たちは、城の人間たちは、一体どこに行ったのだろう。
 思い返してみた。グルカン族の集落にいたときに告げられた、ある一つの「予言」。
『そなた達は出会うだろう。森の悲鳴と騎士の国の嘆き、そしてある男の欲望の形に出会うだろう』
 騎士の国、とはここを指すのだろう(そもそも騎士の国と呼ばれていることを知ったのは、コウルスが説明したからである)。といっても、今のブリーズには確認する術がなかった。
 まあいいだろう。どうせ旅をしていけば、自ずと分かることだ。ブリーズは一人そう思った。何か一つの考えに縛られるのは好きじゃないし、柄でもない。なるようになるさ、と心の中でうなずく。
「……無理するなよ。明日塔で倒れても置いてくからな」
 まだ起きている気配を漂わせる相棒に声をかければ、彼は黙ってにやりと笑い返してきた。

 イルシオンは一人、城の通路に湧き出る泉の淵に座っていた。揺らめく不思議な色の水、その面に自分の顔が映っている。
「……光が強いゆえに、出来うる影も濃い……」
 グルガン族の長老の言葉をゆっくりと思い返す。呟きは水面にぶつかり、砕けて消えていく。
「……影に、魅入られた者……」
 この意味はよく分からなかったが、そう遠くない未来に出会うような気がしていた。イルシオンの勘は、いささか動物的なものである。自分自身、よく理解している。だからこその確信。近い将来に、影に魅入られた者と出会うだろう。
「……」
 ちゃり、と、胸元で音が鳴った。瞳と同じ色をした鎖を手繰り、イルシオンはそれを引っ張り出す。
 逆三角をした台座にはめ込まれた、黄金の輝きをした石。猫の瞳を冠した石によく似てはいるが、それはれっきとしたトパーズなのだった。
 細い瞳孔をじっと夜空に向けて、石は台座に収まっている。その台座にも、シンプルかつ不可思議な紋様が刻まれている。両手を空に伸ばしているかのような、翼を簡単な線だけで表したような、四本の線だけで構成された紋様だった。
 捨てられていたときから持っていたというペンダント。まだ誰にも見せたことはなかった。少なくとも自分の正体が分かるまでは、見せるつもりはなかった。
 その話をされたのは、イルシオンが四歳になったばかりのころである。どうして持っていたのかまでは分からなかったという。あるとき一度無くしてしまい、泣きに泣きながら探したこともあった。最後は母が見つけてくれ、首にかけてくれた。それ以来片時も手放すことなく、イルシオンはこのペンダントを持っている。
 母親である竜の王が帰ってこなかったときは、このペンダントを握り締めて寝ていたものだ。この石は不思議と、暖かさと懐かしさを感じる。
 だが時折不安になる。自分が一体何者で、どこから来たのか。そして先ほど長老が言っていた言葉。光が強いゆえに出来る影が濃いとは、どういうことなのだろう。
「……」
 途中まで考えて、思案することをやめた。これ以上考え込んでいれば、きっとブリーズたちに迷惑をかけてしまう。そう思った。
「……冷えるな」
 かすかな金属の音をさせて、イルシオンはペンダントをしまう。日はすっかり沈み、満天の星が夜空にちりばめられていた。
「……戻るか」
 一抹の不安を洗い流すように、一度だけ泉に手を浸す。それから軽く水を切り、髪を梳いてから立ち上がった。

 塔は黒々とそびえ、星影を映す海を見下ろしていた。

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